播磨自然高原の別荘に暮らしてみて

別荘周囲は何の事前説明もなく2年以上にも渡って土が掘り返されバラックが何個も建ち続け・・・吊るされたままの無数のブルーシートは風にザワザワと音を立てて・・・

ポストに別荘地運営に対する批判ビラ

今年は、年初から別荘の周辺でいろいろある。
定住者宅の薪ストーブを原因とした全焼火災や老人の孤独死など。

先日はポストに、 別荘地運営への批判ビラのようなものが入っていた。
噂には聞こえていたが、一部の声の大きい方々が活発に動かれているようだ。
播磨自然高原の太陽光発電施設に関する批判のようである。

批判ビラからは、太陽光によって被害をうけた会員の話などよりも、太陽光とは関係ない某地区のある方の長年積み重なった別荘地運営陣への私怨(?)のようなものをヒシヒシと感じてしまったのは気のせいだろうか?
また、批判ビラの発起人の中には直接話した事がある人が数名おり、その方が以前話されていたこととビラの内容を照らし合わせるとアレ?と思う点が何か所もあった。




発起人の中には、屋根に太陽光パネルを設置している方もおられるが、屋根につける太陽光パネルは問題なくて、地面の上の太陽光パネルいけないという納得をご自身でされているのだろうか?私が同じ立場であれば、規模の差こそあれ自分は太陽光を設置しておきながら、他の会員が太陽光を設置することを批判するのは、さすがに自己矛盾を感じるだろう。

また、妻とある名前を見て「この人って、理事会が責任を負わないのは給与を与えられないからで、理事は給与を貰うことによって責任を負うべきと言ってたよね」と言い合って共に首を傾げた。この方が2年ほど前に私たちの前で話されたことについてもっと言いたいこともたくさんあるし、この方のその時の態度について思うところもたくさんある。




正直、どの側のどなたが言っていることが正しいのかもわからないが、どちらとは言わないが一方の側に明確に信用できない人がいることは確かだ。どちらかと言えば、ビラにおいては批判されている理事会の側が別荘地の基礎的な運営面については信頼できる面も多々あり、批判されている理事さんたちが直接話していて冷静で知性的で人間的に信頼できると思う。



批判ビラの話はさておき・・・

よくよく考えると、今の別荘地の運営に長年貢献されてこられた方々が理事会を去る日がいずれ来ることは、別荘地にとって大きなリスクである。完ぺきではなくても、この方々以上に、別荘地を理解し、別荘地をより良く運営できる方がこの別荘地におられるとはとても思えないからだ。

別荘地で以前経験したトラブルを通じて、この別荘地には、一部地区の仲間で徒党を組んで別の地区の孤立した会員の意見を押しつぶしても平気な方々や、仲間とそれ以外の論理で動かれるような方、ひがみ根性で物事を判断される方、自分に利益をもたらす側へコロコロと転ぶ方、地位をかさに着て威張るような方、嘘八百のコネや人脈を自慢してコネも無い一般会員を威圧するような方々がいらっしゃることを知っている。

万が一にもそのような知性に欠ける方々に別荘地の手綱を握って欲しくない。そうした方々の方が、太陽光などよりもはるかに別荘地にとって脅威であると思う。

南北朝の「悪党」とマフィア

藤原氏や東大寺など貴族や寺社仏閣所有の領主の荘園があり、
秦氏など主に土着の有力者(開発領主)が荘園の地頭(散所の長者=山椒大夫)
として実質的な荘園の管理運営を行っていた中世において・・・

荘園の地頭が、荘園の利権・所有権を主張して、
領主を脅したり上納を拒否したりし始めたとき、
貴族たちは反抗的な地頭たちを「悪党」と呼んだ。

赤松円心や楠木正成はその代表的な人物と言われているのだが、
同時に「彼らは現在で言うところのヤクザ・マフィアではないのか?」
という指摘も一部である。

ここで、イタリアのシチリア島の中世・近代史を紐解くと面白い一致を発見できるのだが・・・

映画「ゴッドファーザー」などで有名なマフィアの起源も、
やはり貴族の荘園の管理者(ガベロットと呼ばれた)なのである。

中世において、彼らは実質的に荘園を暴力で支配して、
農民を締め上げて利益を絞り出し、それを領主へと上納する
役割を担って富を蓄えていった。

やがてイタリア統一の混乱に乗じて、不在になった貴族の土地を盗み、
没落した貴族とは婚姻関係を結び、ガリバルディやムッソリーニには
資金提供し、イタリア政界へも影響力を行使するとともに、
イタリア全土に張り巡らされた犯罪ビジネスも手中におさめたという。

彼ら悪党が貴族に変わって成り上がっていく様を、
シチリア貴族出身の小説家ランペドゥーサが「山猫」という
小説の中で描いており、映画化もされている。

「山猫」の主人公は、貴族の荘園が「悪党」たる地頭たちに
食い荒らされていく様を見てこう呟いている。

「かつて我々はヤマネコやライオンであったが、
 ジャッカルやハイエナに取って代わられるだろう。」

中央の貴族たちが蔑んだ土着の人々が、貴族の地位も脅かす存在になる。
それが南北朝時代~戦国時代であり、イタリアにおいてはイタリア統一運動
の時代なのだ。

時代の転換点には、このような地位の逆転が起こる。

それは中産階級・新興勢力の台頭などと書けば綺麗に聞こえるが、
現実は必ず陰湿な暴力や謀略・腐敗が付きまとうものだ。

南北朝の悪党は・・・
力持ちだから強いから「悪党」と呼ばれたなどという事は現代人の戯言で、
やはり世間一般の価値観で見てワルだから「悪党」と呼ばれたというのが
現実のところではないか?

俘囚と秦氏

山口県の椹野川に面した地域で半世紀ほど前に一個の石書が見つかった。

秦益人刻書石

この書石の所有者・秦益人は、名前のとおり秦氏なのだが・・・
秦益人の出身地は播磨国飾磨郡と記されていた。

ここで興味深いのは、この石書の発見場所の椹野川(ふしのがわ)である。
椹野川の名の"ふしの"とは俘囚から来ているという説が有力なのだという。

そして、播磨国飾磨郡は同時に、日本全国の5本の指に入る俘囚の移配地であり、
俘囚長も存在する俘囚の大コミュニティが形成されていた。

そこで俘囚を管理していたのは佐伯直であり、彼らが傭兵とした俘囚の軍団は
佐伯部と呼ばれて、戦争の際には主君と名前を同じくし運命を共にすると忠誠
を誓っていた。

この山口県と播磨の2カ所に渡る俘囚の移配地に、秦益人という秦氏が関わっていた。
そして、この2か所はともに東大寺領でもあったという。ちなみに秦氏の根拠地でも
あった赤穂には東大寺の塩荘園があった。秦氏は同族間の緊密なネットワークを
持っており、秦益人はおそらく赤穂郡の秦氏とも関連のある人物であったと思われる。

この秦益人だが、おそらく東大寺関連の土木工事を請け負う現場責任者的な
人物であったようだ。

秦氏にも皇族にも連なる人々もいれば、大半の秦氏はこのような土着的な職能を
持つ人々であったのだろう。そして、彼らは面倒な仕事を請け負う性格上、
俘囚とも日ごろから接する機会が多い人々であったのだと思う。

秦氏と密接な関係を持つ、隠された神・摩多羅神を普及させた円仁が、
俘囚の移配地で布教を行っていたりする点を見ても、俘囚を使役したり
俘囚によりそって教化を現場で行ったのは秦氏ではなかったかと思う。

やがて、この俘囚は初期の武士の形成に大きな影響を与えていくのだが、
それはまた次回に書くことにしよう。

古代の製鉄民はどこから来たのか?

地名というものは、古代や中世から変わっていないものが多い。
落地(おろち)が大蛇であるように読み方だけを残しているものもある。

たとえその名前を付けた理由が忘れ去られても名前だけは
その場所の由緒を主張し続けているのだ。

上郡町には"金出地"と岩木の"鍛冶"の少なくとも2つの鉱山および
製鉄に関する地名が発見できる。

佐用荘の地頭だった赤松円心は、先に書いた通り
"散所の長者(山椒大夫)"説があるのだが・・・
宍粟~佐用~上郡にかけての鉱山・鍛冶場や千種川の高瀬舟を
使った金属物資輸送を掌握していたという。

また赤松~岩木~皆坂(船坂)へ至る道も、かつては黄金街道と呼ばれ、
備前への金属物資の輸送路であったようだ。

荘園主に対してはおろか、後醍醐天皇にまで弓を引く
悪党に円心がなれた理由は、この金属ビジネスが生み出す富だった。

ところで、古代から播磨国赤穂郡は鍛冶や鉱山の盛んな場所であったようで、
古代の鍛冶場・鉱山のあとは必ずといっていいほど秦氏を祭る大避神社が作られているという。

西日本における鍛冶場は、古代には蝦夷討伐や夷狄撃滅の
ための武器製造の場所だったようだ。そのような場所で働く人々も
また蝦夷討伐によって人間狩りされた戦争難民や奴隷であったようで、
先に書いた俘囚の移配地も必ずと言っていいほど、耕作に適さない山間部や
峠の険しい国境地帯であるそうだ。

そして、そのような場所は、別所・散所などと呼ばれて主に製鉄の場所
であったという説がある。

別所 (地名解釈)

ちなみに、別所の名は、赤穂市にも「字別所」と地名があるし、
上郡町の播磨自然高原第二ゲートを出て上郡町に向かう道沿い
にも「別所原」という地名を確認できる。
(由来はわからないが、上郡町の場合は、「山間僻地や丘陵に囲まれた地」、
 「西日本では国境・群界にある。」のいずれにもあてはまるような気も・・)

 上郡町の別所原
http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=34.862141006558&lon=134.29622095793&layer=0&mode=map&size=s&pointer=on&type=static&CE.x=339&CE.y=165&z=18

 山椒大夫という丹波国出身の荘園の地頭にまつわる民話もまた、
 姉・安寿は機織りをし、弟・厨子王は鍛冶場で働かされるという
 散所と製鉄の関係を示唆しており、また安寿・厨子王は陸奥国から
 来るのであり、陸奥国は蝦夷への領土拡張戦争の最前線だった。


同様の構図は、宮崎駿のアニメ「もののけ姫」にも描かれ、
エボシという悪党が仕切る散所はたたら場であり、戦争未亡人が
主な労働者として働いている。そしてそこで作られた武器で、
さらに未開地・未開の民を討伐してゆく。

このように俯瞰すると・・・
古代の秦氏と南北朝の赤松円心が金属製造という職能で結ばれ、
古代と南北朝のはざまには東北における蝦夷討伐があり、
播磨国の辺境は戦争捕虜の移配地になった可能性が高く、
ゆえに金属製造も盛んであった・・・

・・・などとおぼろげにそれぞれの人物・事象の結びつきが見えてくる。

スコットランドとなりえなかった蝦夷

イギリスにローズマリー・サトクリフという
児童向けの歴史小説を書いている作家がいるが・・・
ローマン・ブリテン4部作という作品が有名で一部は映画化もされている。

このローマン・ブリテン4部作は、
古代ローマ帝国がブリテン島を支配していた時代を描いた作品群だ。

湿地帯だった河口からブリテン島の深いジャングルへとわけいったローマの軍団たちの姿・・・

古代ローマ兵にとって、ブリテン島は"鬼が棲む森林地帯"であり、
蛮族が徘徊する島だった。

古代ローマの軍団が入植を進めると、
ケルトの戦闘僧侶ドルイドに率いられた蛮族がゲリラ戦で激しく抵抗する。
たまりかねて、彼らは征服したイングランドと未征服のスコットランドとの間に長城を作る。

ハドリアヌスの長城、それは文明と原始を隔てる結界だった。

サトクリフの「第九軍団の鷲」は、古代ローマ人にとって長城の向こう側、
つまりスコットランドがいかに深い闇であったかを描いている。

古代ローマは長城よりも向こうには進軍できず、
進軍した軍団は軍団ごと闇の中に消え失せたそうだ。
やがてローマ帝国の衰退とともにブリテン島からも撤退していしまう。

スコットランドの抵抗によって、イギリスはローマ文化圏から脱して、
ケルト文化圏の独自性を守り、スコットランド人は侵入者と闘い続ける
戦士ハイランダーとしての誇りを今も失っていない。

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日本にも、文明と異界(闇)を区切る結界があった。
結界の向こう側は蝦夷(現在の東北地方)と呼ばれていた。

進軍・征服する大和王権は、ある意味、古代ローマ軍よりも賢かった。

彼らは、蝦夷の部族を征服すると、住民の移配を行い、
西日本へと移住させて、グループを小分けして狭い山間地へと
押し込めた。彼らは俘囚と呼ばれ、居留地へ隔離された。
(アメリカ西部のインディアン居留地を想像していただくとわかりやすい。)

俘囚の移配地は東北以西の土地にたしかに名を残しているそうだ。
あるいは、その地で信仰されている宗教を見ればわかるらしい。
西日本ではとくに国境にそのような移配地の痕跡があるそうだ。

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蝦夷の抵抗は、スコットランドのように現代にもその気概や
プライド・独立精神を残すものではなく、かつて多民族国家であった
日本は単一民族に近い価値観を共有している。

大和王権には、他民族を同化していくノウハウ、頭脳があったようだ。

だが、本当に移配された人々の文化面の独自性は消え去ったのだろうか?
どこかにその痕跡が生き残っていないだろうか?この国境の地にも・・・

(つづく)

「山椒大夫」に想う・・・

別荘地ではもう半年も前から地デジの難視聴者向けのサービスが終わり、TVが映らない。
BSの番組しか見るしかないので、映画を録画して時々、見ている。

今年・・・
吉永小百合の「映画女優」(田中絹代を溝口健二とのエピソードなど絡めて描いた映画)を
見たのを皮切りに、「雨月物語」「赤線地帯」と見て溝口ワールドに心酔し、
そしてつい最近はやっと見たかった「山椒大夫」を見ることができた。

「雨月物語」や「山椒大夫」になぜここまで心惹かれるのか?
この2本の映画は、辺境の地に流れつき、荒れ果てた山野を彷徨いながら、
必死で生きようとする家族を描いた映画だ。

そこに自分は、不安を抱きながら地の果てのような場所にある山深い別荘地に移住し、
廃墟にかこまれた荒野のような寂しい風景の中で暮らし、
不条理と向き合いながら生きている自分や知人家族たちの姿を投影せずにはおれない。

古典的な白黒映画であっても、自分にとってはリアルな映画なのだ。

今回見た、「山椒大夫」はとても興味深い映画だった。
「山椒大夫」=「散所の長者」。
散所とは中世の貴族の荘園内のような、中央政府の手が届かない治外法権の場所。
そこでは戦争難民や没落した貴族たちが人間狩りされ買われてきて、奴隷として酷使されていた。
(漫画「カイジ」に出てくるような、地下の奴隷労働ブラック社会は、中世には現実に存在した。)

説話「山椒大夫」はそのような中世の過酷な現実を今に伝えている物語なのである。

江戸時代は良い時代だったというTV特集などが良くあるが、
一方で和気出身の岩井志麻子の小説「ぼっけえ、きょうてえ」が描く
備前の農民家族の悲惨な人生など、どんな時代にでも明るい部分と暗い部分がある。
中世もまたしかりである。

「山椒大夫」の物語は、中世の治外法権の場所=散所の暗くおどろおどろしい点を
あますところなく描いている。「散所」は、かつて播磨や葛城の悪党(赤松円心や楠木正成)が
興ったような国境など辺境の山間の貧しい処に多く作られたものと思われ、
おそらくそこで奴隷などを使役して鉱物の採掘やたたらの製造などを行っていたのだろう。

ゆえに、楠木家や赤松家のルーツにも「散所の長者(=山椒大夫)」説があり、
まさに中世においては悪辣非道な奴隷使いの頭目であった可能性も多分にあるのだ。
(散所の長者=ブラック企業の社員が出世してブラック企業経営者にのし上がる図?)

ところで・・・

散所にも、寺社仏閣が所有している散所もあり「山椒大夫」の物語のなかにも出てくるのだが、
これは「無縁所」と呼ばれて、散所から逃げてきた人々をかくまった場所であった。
(そこもまた重労働と引き換えに食料が与えられる点では同じだったが)

ただ、「無縁所」の良いところは、どんないわくつきの人間、わけありの素性の人間でも
受け入れてくれた点だ。追われるものであっても、追撃者の手から僧兵が守ってくれた。
時には戦争に敗れた大名が甲冑を脱ぎ捨てて、寺社の「無縁所」へと逃げ込んだ。

(「悪党」が仕切る「散所」であっても、奴隷労働の場所であったと同時に、男女差別のない場所、
素性を問わず人々を受け入れた点を肯定的にとらえる見方もあり、宮崎駿のアニメ「もののけ姫」に
出てくる「たたら場」は進歩的な場所として「散所」を描いている。)

別荘地でよく話す定住者のご婦人は、住宅街のご近所関係が
いかに自分にとって地獄だったか、ここで暮らすことがいかに自由か話されている。
地上との縁を断てる場所、そう考えると別荘地は今や中世の「無縁所」と同じ役割を
はたしているんだとシミジミと感じてしまう。


かつて国境や辺境に、木の柵で牢が作られた「散所」が作られ、「悪党」たちは奴隷をこき使って、
金属を採掘し力を蓄えていった。今、辺境の地が時代がかわり、別荘地として開発されて、
様々な理由から社会との縁を断ちたい人々が好んで移住するアジール(聖域、避難所)となっている。

中世と現代の人々は同じように、困難な時代を生きているのだと実感する。

原住民としての秦氏

秦氏というと渡来人というイメージを思い浮かべる。

以前、秦氏=ユダヤ人説(日ユ同祖論)について書いたが、
秦氏は第一義的に新羅から来た人々だと思われる。
瀬戸内市備前市~播磨にかけては、新羅由来の地名が数多く残る。
それらは秦氏の入植地と重なる。

こんな事を書くと、まるでヨーロッパにおけるテンプル騎士団の
ように歴史の謎の部分を何でもかんでも陰謀論的に秦氏関連で埋めて
行ってるように思えてくるが、それは秦氏を渡来人と考えるからそうなる。

だが、秦氏は古墳時代にすでに日本各地に入植し、大規模な古墳建設技術を
日本に伝えているのだ。

縄文時代末期に日本列島に住む人口はせいぜい10万人やそこらで、
そんな時代に2万人弱の秦氏が移住したというのだから主要な根拠地一帯に
秦氏関連の地名や遺構が密集していてもまったく不思議ではない。

秦河勝が飛鳥時代に坂越に上陸したときに、すでに播磨一帯は
秦氏の根拠地となっており、ゆえに彼の流刑地(もしくは避難地)
にこの地が選ばれたと考えるほうが自然なのだ。

秦氏は、アイヌ系のような縄文系狩猟民族を討伐しながら、
時にそのような蛮族(日本古来の原住民)と和合して同化していったのだろう。

インディアン戦争に勝利したジョージ・クルック将軍は、
アパッチ族から"ナンタンルパン(灰色の狐)"と呼ばれ尊敬された。
多くのアパッチの戦士がクルックの斥候となり忠誠を誓った。
同じように、播磨国や葛城国の山深い地に分けった秦氏は
土蜘蛛と呼ばれたような、縄文系先住民と時に戦いやがて
和合して、縄文系先住民も秦氏の中に組み入れられていったのだろう。

たつの市の小宅神社の由緒
・・・小宅の秦君の娘と川原若狭の祖父が結婚し住んだ家を小宅と名付けた。

楠木正成が、秦氏の末裔説がある一方で、山伏や山の民との
関わりが噂されたり、また楠木氏と血縁関係にあり
山の民との関係も濃厚な伊賀忍者で有名な服部氏が、やはり
その名前を見ても秦氏を祖としているのは、そのような古代に
おける、縄文系の先住民と秦氏の地縁での重なりや血縁での和合を
読み取れるのだ。

前回書いた、寺田法念が「悪党」として決起したとき、
彼は秦氏末裔を称していたが、それは渡来人の意味ではなく、
矢野荘(相生)の原住民としての秦氏を名乗っていた。中央の権威に
対する土着の権力として彼は秦氏を名乗った。

このように播磨や葛城の秦氏は、すでに鎌倉・室町時代には
その土地に深い地縁血縁のある原住民としての土着的な勢力で
あったのだ。

秦氏と「悪党」

映画「山椒大夫」を撮った溝口健二だが、世界の映画史の中でも
黒沢明をしのぐほどの名声を得ている監督である事は有名である。

溝口映画の時代考証は徹底しており、映画「山椒大夫」を
撮影する際も、歴史学の見地から民話「山椒大夫」を徹底的に考察したという。

メインキャラクターである厨子王と安寿の兄妹は、
山椒大夫が支配する散所(貴族の荘園)において・・・

最初は海から運ばれた海水を塩にする仕事をさせられ、
後に兄・厨子王は鍛冶場で鉄を叩き、妹・安寿は"はたを織る"。

塩を作る、はたを織る、鍛冶場で働く。全て秦氏を思い起こさせる仕事である。

ところで・・・
旧赤穂郡の中の現在相生になっているところに、昔、矢野荘という荘園があった。
藤原氏の領地であった。

その荘園には例のごとく「山椒大夫=散所の長者」がいた。
寺田法念という人物で、もともとその地を開拓した秦氏の末裔であったという。
(赤松氏にも楠木氏にも秦氏の末裔説がある)

領主・藤原氏と利害関係の対立した寺田法念は、
やがて主従関係を覆して、領主に反旗をひるがえす「悪党」となった。
寺田法念の名は、播磨国の初期の悪党として、歴史に名を刻んでいる。

ここで、なぜ葛城国や播磨国のような場所で悪党が起こったのか、そのヒントが見えてくる。

葛城国や播磨国は、元々秦氏の有力な根拠地であった。
そこを開拓したのは秦氏であるため、地元の有力者に秦氏系が多かったのだろう。
領主は京にいる藤原氏のような雅な人々なのだが、秦氏系はその荘園内で、
塩や織物や鉄器などを作って領主に献上したり商売を行って財をなしていた。

秦氏は塩や織物や鉄器製造などの職能を掌握しており、経済・武器など
世俗における現実的な力を有していた。中央の権威に対抗しうる力だった。

それが、鎌倉・室町とバサラが流行る世の中になると、
秦氏系が主君に反旗を翻して独り立ちしはじめた理由ではないか?

寺田法念しかり、赤松氏しかり、楠木氏しかり、彼ら自身や
彼らの周囲には秦氏の影が見え隠れする。

大鳥圭介と土方歳三

大鳥圭介(上郡町出身)と土方歳三は、まったく畑が違う人物どうしなのに、
ある時期から運命の糸に操られるように吸い寄せられて、戊辰戦争のさなかに
合流し共に最前線に立って兵を率いて戦い、共に指揮官としてたぐいまれな
用兵能力を発揮し旧幕府軍の中で頭角を現していった。

土方は多摩の百姓出身で剣の腕で自らをたたき上げた伝説的な新選組の生き残り。
大鳥圭介は、医学・語学・西洋の近代技術に精通したとびぬけて優秀なテクノクラート。

体育会系・土方に対して、インテリ・大鳥。
このインテリ・大鳥が、土方同様に、強兵として恐れられた薩摩兵に
その用兵術を逆に恐れられたというのだから、大鳥の多彩な能力に驚いてしまう。

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そして、蝦夷共和国の落日。2人は運命を分かつことになる。

旧幕府のテクノクラートを結集させたとも言える蝦夷共和国の首脳陣。
近代国家の運営に不可欠の人材だった彼らは、薩長・官軍から見ても、
殺すには惜しい人材だった。ただ一人の土方歳三をのぞいては。

薩長・官軍、とくに京時代に新選組に辛酸をなめさせられた長州から見ると、
なんとしても土方は血祭りにあげるべき男であった。

また、敗色濃厚な状況下で、蝦夷共和国の首脳たちの多くは、
志に殉じて玉砕するよりは、官軍の軍門に下って、自らの能力を新時代に
生かす算段を心中でしていた。

その首脳陣にあって、ただ一人、降伏に頑強に反対する男・土方歳三。

もはや、他の首脳陣にとって、土方歳三は邪魔な存在。
土方が死なないと他の首脳陣たちは生き延びられない。

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土方歳三はそんな中にあって、最前線で流れ弾にあたり死亡。

はたして、土方はどちらの玉にあたったのか?薩長・官軍の玉か?
それとも、撃ったのは味方の首脳陣の手配した狙撃手か?

今となっては誰が犯人かわからない。
もし、味方に殺されたとしたら、暗殺を手引きした人間は、
大鳥圭介ではなかったか?という説がある。

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のちに東大工学部の前身の工部大の初代校長になった
大鳥圭介の人となりを知ると、この説には違和感があった。

だが最近、最前線に立った大鳥圭介の用兵が、
西郷隆盛に恐れられていたという話を聞いた。

冷酷なマキャベリズムで幕府から権力を奪い取った薩摩の巨魁・西郷隆盛。

その西郷が恐れたほどの人物だというのだから、大鳥圭介は土方粛清を
実行できるほどの殺気みなぎる豪胆な人物だったのかもしれない。

当時は、何事も今の尺度では測れない時代だったのだ。

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上郡町に移り住んだ当時、大鳥圭介の生家はまだ壊されていなかった。
銀ビルは、改装前で蛍光灯が店内を照らす暗い雰囲気のスーパーで、
2階にはゲーム機が並んだくつろげるスペースがあった。

青白い月の光に照らされた10月の夜の播磨自然高原の山道。

なんと不安で新鮮な日々だったことだろう。
そして自分は何もわからなくて全ての事に無邪気だった。
思い出すと、なつかしさでいっぱいになる。


日ユ同祖論の聖地としての坂越


「日本人とユダヤ人は同じ祖先。」

プッと吹き出しそうになるような珍説に思えるかもしれないが、その説はかつて日本の国策をも動かした。

ソビエト革命後にシベリア出兵に参加した日本陸軍のとある将校・安江仙弘は、ロシアを追われた白ロシア軍の将校に一冊の本を手渡される。「ユダヤの長老達のプロトコル」それは後に、"史上最悪の偽書"と呼ばれ、ナチスをホロコーストへと駆り立てた一因ともなった世紀の陰謀説本であった。

安江仙弘は、その本を日本へ持ち帰り、ユダヤ人に関する研究をはじめる。同時に彼の関心は国内外で話題に上っていた日ユ同祖論へも向き、日本人とユダヤ人の驚くべき共通点について開眼した。そして、日ユ同祖論の立場からユダヤに対する警戒よりは、むしろ親近感を持つようになった。

こうして、欧州で迫害されるユダヤ人を積極的に味方につけて日本の国際的な地位を高めようとする親ユダヤ主義的な日本の国策、「河豚計画」が立案された。(ユダヤ人を河豚に例えるところに、この計画の背景にある陰謀説の影響を読み取れる。)「河豚計画」は石原莞爾の満州国構想などと合わさって、満州へのユダヤ移民誘致計画など具体的な政策として行動に移されていった。

今日、杉原千畝の美談として語られているような日本政府・軍部によるユダヤ人救済は、このような日本陸軍におけるユダヤ陰謀論および日ユ同祖論研究が多分に関係しているのだ。

この日本陸軍や日本政府をも動かした日ユ同祖論とはいかなるものなのか?

おもに渡来人・秦氏が持ち込んだと思われる神道の儀式とユダヤの宗教的儀式の一致、
厩戸(うまやど)皇子と呼ばれた聖徳太子(そのブレーンは秦河勝)と、馬小屋で生まれたキリスト。
偶然とは思えない古代日本と、ユダヤ教キリスト教の一致。
言語面の一致、宗教的道具の一致、祇園祭の開催期間などさまざまな一致点がある。

そして、それを突き詰めていくと・・・
「古代日本に多大な影響を与えた秦氏はユダヤ人もしくはユダヤ教徒(もしくは景教徒=ネストリウス派のキリスト教徒)ではなかったか?」という疑問に行き着くのだ。産経新聞記者時代の司馬遼太郎は、この日ユ同祖論の観点から坂越の大避神社についての記事を書き、その記事は欧米の新聞にも翻訳されて大変な評判を呼んだという。(後に、この時の司馬の取材内容は司馬の初期の小説の一つとなる。「兜率天の巡礼」である。)

坂越の大避神社は日ユ同祖論の聖地でもあり、大避神社はダヴィデ神社の意味であるという説を信じる人もいる。

実は、遠方から坂越を訪れる観光客は、司馬遼太郎の「兜率天の巡礼」などを読んで、日本とユダヤをつなぐ見えない糸にロマンを抱いてこの地を訪れる人も少なくないのだ。

株式会社マルト水産 司馬遼太郎著「兜率天の巡礼」を読んで
http://www.marutosuisan.jp/harimanada/jyunrei.html

折しも、赤穂では秦氏に関する資料を集めたギャラリーがオープンしたようだ。

秦氏テーマの資料館オープン
http://www.ako-minpo.jp/news/10545.html