播磨高原の別荘に暮らしてみて

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

駅は、梨原、望月の駅

上郡町梨ケ原は、枕草子や今昔物語に登場する場所である。
(その場所はいま産廃計画騒動の渦中にもある。ちなみにグーグルマップはこちら

枕草子 第二百二十五段

駅は、梨原。望月の駅。山の駅は、あはれなりしことを聞きおきたりしに、
又もあはれなることのありしかば、猶(なほ)とりあつめてあはれなり。


私はこの歌がうたわれたまさにその場所を時々散歩するのであるが、
落地(オロチ)の野磨駅家跡の一帯の山に囲われた盆地を夕暮れに散歩すると
「望月の駅」の言葉にあるように、青白い光が静かな盆地を照らしている様が心に浮かぶ。

別荘地の一部にもなっている落地は、元の意味は大蛇もしくは毒蛇(オロチ)であり、
今昔物語には6メートルを超えるオロチの話が記されている。

野磨駅家から大宰府へと向かう船坂峠は、大蛇も出るし盗賊も出る、
公家も殺される、古代においてはとても恐ろしい場所であったようだ。

前述のように落地は大蛇・毒蛇の意味なのだが・・・
妙な話をはじめるが、私は落地には幻獣ではなく実際に大蛇がいたのでは
ないかと考えている。

神々しいほどの大蛇の目撃談がきわめて身近な人間の体験にある。(場所は別荘のすぐそば)
調べてみると、地元の人々にも数知れない目撃談がある。

 とにかく逃げた。家に帰り着いても当分振るえが止まらなんだ。
 こんな恐ろしい経験は生まれて初めてのことじゃ。もう二度とごめんだ!
 あの山には何ぼ頼まれても二度といかん。

 引用元:上郡の大蛇 http://kansai.kanran.org/doc35.php

私自身も、ある晩夏の明け方に散歩していたとき、山が押し黙る瞬間を体験したことがある。
自分の足跡は聞こえているが、虫や獣など森にいるはずの生き物が何かに怯えたように押し黙る刻。

またひそかに、別荘地を切り開いた人々は、同じような大蛇に出くわしたのではないかと思っている。
おそらくこの山一帯の主(守り神)でもあったのだろうが、そのような大蛇の末裔は今もひっそりと
この山に生き残っているかもしれないのだ。

私のできることと言えば敷地をなるだけ手つかずに保ち、別荘建築で使っている場所も
木を最小限にしか切らないことである。敷地全体を柵で囲ったりはしない。

落地において千年以上も昔から崇められているような神聖な動物たちの
住処を安易な考えで奪うことは良くないことだと思っているからだ。

スポンサーサイト

映画「山椒大夫」に想う・・・

別荘ではもう半年も前から地デジの難視聴者向けのサービスが終わり、TVが映らない。
BSの番組しか見るしかないので、映画を録画して時々、見ている。

今年・・・
吉永小百合の「映画女優」(田中絹代を溝口健二とのエピソードなど絡めて描いた映画)を
見たのを皮切りに、「雨月物語」「赤線地帯」と見て溝口ワールドに心酔し、
そしてつい最近はやっと見たかった「山椒大夫」を見ることができた。

「雨月物語」や「山椒大夫」になぜここまで心惹かれるのか?
この2本の映画は、辺境の地に流れつき、荒れ果てた山野を彷徨いながら、
必死で生きようとする家族を描いた映画だ。

古典的な白黒映画であっても、映画「山椒大夫」は、
自分にとっては妙なリアルさを感じる映画である。

ちなみに、「山椒大夫」は「山荘太夫」という説話を元にしており、
山荘に住む自分がこの物語に現実味を感じるのは不思議ではないし、
山荘=散所のようなゲーテッドコミュニティ(門によって外界と隔離された場所)
の閉鎖空間が時として非常識を常識としてしまうような性質を持ち、
一旦陰に転じれば人間心理に息苦しい閉塞感を与える事も経験として理解できる。

「山椒大夫」=「山荘太夫」=「散所の長者」。
散所とは中世の貴族の荘園内のような、中央政府の手が届かない治外法権の場所。
そこでは戦争難民や没落した貴族たちが人間狩りされ買われてきて、奴隷として酷使されていた。

荘園の門を一歩入ると、そこは異界であり、
たとえ国司と言えども法をもって干渉できなかった。

説話「山椒大夫」はそのような中世の過酷な現実を今に伝えている物語なのである。

江戸時代は良い時代だったというTV特集などが良くあるが、
一方で和気出身の岩井志麻子の小説「ぼっけえ、きょうてえ」が描く
備前の農民家族の悲惨な人生など、どんな時代にでも明るい部分と暗い部分がある。
中世もまたしかりである。

「山椒大夫」の物語は、中世の治外法権の場所=散所の暗くおどろおどろしい点を
あますところなく描いている。「散所」は、かつて播磨や葛城の悪党(赤松円心や楠木正成)が
興ったような国境など辺境の山間の貧しい処(貴族・寺社の荘園内)に多く作られたものと思われ、
おそらくそこで奴隷などを使役して鉱物の採掘やたたらの製造などを行っていたのだろう。

楠木家や赤松家のルーツにも「散所の長者(=山椒大夫)」説があり、
まさに中世においては悪辣非道な奴隷使いの頭目であった可能性も多分にあるのだ。
(散所の長者=ブラック企業の社員が出世してブラック企業経営者にのし上がる図?)

ところで・・・

散所にも、寺社仏閣が所有している散所もあり「山椒大夫」の物語のなかにも出てくるのだが、
これは「無縁所」と呼ばれて、散所から逃げてきた人々をかくまった場所であった。
(そこもまた重労働と引き換えに食料が与えられる点では同じだったが)

ただ、「無縁所」の良いところは、どんないわくつきの人間、わけありの素性の人間でも
受け入れてくれた点だ。追われるものであっても、追撃者の手から僧兵が守ってくれた。
時には戦争に敗れた大名が甲冑を脱ぎ捨てて、寺社の「無縁所」へと逃げ込んだ。

(「悪党」が仕切る「散所」であっても、奴隷労働の場所であったと同時に、男女差別のない場所、
素性を問わず人々を受け入れた点を肯定的にとらえる見方もあり、宮崎駿のアニメ「もののけ姫」に
出てくる「たたら場」は進歩的な場所として「散所」を描いている。)

よく話す定住者のご婦人は、住宅街のご近所関係が
いかに自分にとって地獄だったか、ここで暮らすことがいかに自由か話されている。

地上との縁を断てる場所、そう考えると別荘は、
今や中世の「無縁所」と同じアジール(駆け込み寺・縁切り寺)
の役割をはたしているんだとシミジミと感じてしまう。

悪党を育んだ土地

歴史の話を少し・・・

はじめてこの地にドライブに来たとき冬のせいか、
あまりに殺伐とした風景に驚き、まさに辺境の地に来たと感じた。

東有年の2号線ぞいの交番から鰻峠を上ると廃墟や
廃材置き場、雑草が生え放題の空き地など荒涼としていて、
ちょっと兵庫県の南側では他では見ないような廃れっぷり(笑)
荒涼とした風景の中をトラックの車列が黒い排気ガスをまき散らして走っていた。

その風景は基本的に今と変わらないが、今では鰻峠の左右
の山々はそこかしこに太陽光パネルが貼り付けられ、牧歌的な
田舎の風景が失われさらに殺伐とした感じになっている。

そこから船坂峠へと2号線を走ると、今度は、道沿いに地元有志
によって作られた"産廃いらん"のノボリがはためき、前方の
山の中腹には播磨自然高原別荘地内の巨大な太陽光施設
の設備の一部が見えてくる。

中央に見捨てられた辺境の地はしばしば英雄を生む。

辺境に峠道あり。
西に兵庫と岡山の境に船坂峠があり、東に大阪と奈良の境に竹内峠がある。

いずれの峠もかつては物資輸送の難所であり、
中世の時代には山賊が徘徊する場所であった。

司馬遼太郎の「国盗り物語」には、主人公の斎藤道三が、
備前から京都への油の原料である荏胡麻を運ぶ道中、
有年の峠道で山賊に襲われる場面が描かれているが、
まさに別荘地のあるあたりは中世には山賊の砦が
築かれた場所ではなかったかと思う。

現在と同様、険しい崖と、毒蛇に守られた天然の要害であったのだろう。

※ちなみに播磨自然高原内の太陽光施設正門の碑文にも「国盗り物語」の文字を発見できる。

このような物資輸送の難所では、それを警護する武装集団が
自然と興っていった。彼らはやがて力を蓄えて中央権力(京都)に
対して覇をとなえる多極化時代(戦国時代)の申し子へと成長していった。
私兵を擁して中央に反抗する彼らのことを京の人々は恐れを込めて「悪党」と呼んだ。

南北朝時代の2大「悪党」に楠木正成と赤松円心がいる。

まさに、竹内峠、船坂峠のある土地が育んだ人物である。

ハードボイルド作家・北方謙三は、赤松円心を主人公に
「悪党の裔」を書いているが、この小説がこの地を舞台にした
読み物の中ではもっともドラマチックなものではなかろうか?

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。